サルタックの教育ブログ

特定非営利活動法人サルタック公式ブログ。教育分野の第一線で活躍するサルタックの理事陣らが最先端の教育研究と最新の教育課題をご紹介。

幼児教育無償化から考えるーアメリカの研究結果は日本にとって妥当なのか?

現在幼児教育無償化に関する議論が進んでいますが、これに大きく影響を与えているのが、ノーベル経済学賞受賞者のヘックマン教授の一連の研究です。 

ヘックマン教授の研究によると、貧困層を対象にした良質な就学前教育の収益率は10%を超えてきます。学力改善効果自体は小学校でいったん消えてしまうようですが、就学前教育が子供の非認知スキルを向上させ、これが大学進学率の上昇や犯罪率の低下につながるため、このような結果になるようです。

就学前教育の高い収益率の大部分は、良質な就学前教育を受けた貧困層の子供が大きくなってから罪を犯さないことにより生み出されていますが、日本と米国ではそもそも犯罪の水準がかなり異なっています。このような文脈の違いがあっても、ヘックマン教授の研究結果を基に日本で幼児教育無償化を推進すべきと言えるでしょうか?今回は、就学前教育を巡る日米の文脈の違いを事例に、教育政策を考えるための「文脈」について筆を執りたいと思います。

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 ①国の社会経済文化的な文脈: 貧困=育児の貧困

ヘックマン教授の問題意識の始まりは、アメリカの貧困層の子供を取り巻く厳しい家庭環境にあります。言い換えると、アメリカの貧困問題は育児の貧困に直結しており、貧困層の子供が人的資本蓄積の出だしから躓いているため、貧困の連鎖が発生してしまっている、という事です。具体的に彼が懸念していたのは、黒人貧困層のひとり親家庭の増加です。

現在アメリカの子供の約1/3はひとり親家庭で生活しています(US Census Bureau: America’s Families and Living Arrangements: 2016)。親の属性を見ると、これがかなり貧困層に偏っていることが見て取れます。年収2万ドル未満の家庭で暮らす子供の約70%はひとり親で、2万ドル台で54%、3万ドル台で43%、4万ドル台で36%となっています。親の学歴別で見ても同様で、親の最高学歴(父親と母親の学歴が高い方の教育水準)が高校中退の子供の52%は、高卒で42%、大卒で15%、院卒で9%の子供がひとり親家庭となっています。つまり、社会経済的に厳しい環境にある家庭ほど、子供がひとり親であるという状況です。

そして、人種問題がここに顔をのぞかせます。白人の子供の約25%、アジア人の子供の約11%はひとり親家庭で生活していますが、黒人の子供は約63%がひとり親家庭で生活しています。なおかつ、米国ではひとり親家庭の親の半数以上は未婚のままひとり親になっており、つまり米国の子供の6人に1人は母親のお腹に宿った時から、ひとり親という厳しい状況にあります。

正にここにヘックマン教授の問題意識はあり、低学歴・低収入の黒人家庭の子供の大半はひとり親の下で生活しており、貧困=育児の貧困を懸念しているわけです。日本はそもそもひとり親の子供の割合が米国の半分未満である上、確かにシングルマザーの学歴は低い傾向があるものの米国ほど強烈ではないですし、ここまで強烈な人種問題も存在していません。また、日本のひとり親家庭で育つ子供の割合以上の割合で米国の子供は生まれながらにしてひとり親です。この辺りが、就学前教育を巡る日本と米国の文脈の違いとして顕著な所だと思います

②教育制度を取り巻く社会福祉制度の文脈: 米国の住宅政策と人種分離

ヘックマン教授の研究でも学力への効果は消滅するのですが、他の就学前教育に関する研究を見ても、学力への効果は小学校のどこかで消滅してしまうことが多いのですが、これはなぜでしょうか?

その原因の一つとして考えられるのが、家庭環境が厳しい子供が通う学校は、教育効果を持続させられるような代物ではない点です。アメリカの教育制度は日本と異なり極度に分権化されたものです。学区ごとに教育委員会があり、このメンバーは選挙によって選ばれます。そして、この教育委員会は徴税権を持ち(基本的に固定資産税)、学区の教育予算を自分たちで決定します。さらに、教員採用もこの教育委員会が責任を持ちます。

しかし、固定資産税があまり期待できない地域では、得られる教育予算も少なく、従って支払える教員給与も低くなるわけで、こういった学区へ応募してくる教員は、他の学区ではねられたような人達ばかりになってしまいます。

ここで一つ鍵になるのが、米国の住宅政策です。詳しくはGary OrfieldのHousing Segregation Produces Unequal Schoolsを読んで頂くと早いのですが、公民権運動の高まりにより1960・70年代は学校での人種差別廃止(desegregation)が進み、黒人の子供も白人の子供も同じ学校で学ぶよう努力がなされたのですが、現在においてはこの成果がほぼ完全に消滅してしまいました。これは80年代に最高裁判所がこれと逆行するような住宅政策に関する判決をいくつか下したことが大きいのですが、

①公営住宅が地価の安い所を中心につくられた→公営住宅周辺が黒人のゲットー化
②ジェントリフィケーションで、黒人地域が狭くなり黒人の密集度が高くなる
③住宅販売や賃貸で人種差別が横行する
④住宅ローンを借りる段階で人種差別が横行する

上の4つによって黒人と白人で居住地域がバラバラになり、黒人が集住する地価の安い(=教育予算も少ない)地域では、もはや学校が学校と呼べるシロモノではなくなってしまっているところも多数あります。このようにヘックマンの研究で対象となったような貧困層の子供が通う学校は機能不全に陥っているうえ、前述のようにクラスメイトの大半はひとり親家庭で父親が誰かも知らない感じなのでポジティブなピア効果も期待できず、むしろ学力が維持されたとしたらそれはかなり驚きでしょう。この辺りが日本とは大きく異なる所です。

ちなみに、下の図はエミネムの8 mileで有名なデトロイトの8 mile roads近辺の住民の人種構成ですが(リンクはブラウザーの所をご参照ください)、この道を境に住民層が異なっているのが見て取れますね。アメリカのほぼ全ての大都会でこのような境界線が存在しています。

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③教育制度の文脈: 長い夏休みと課外活動(部活動)

就学前教育が学力に与える好影響が消滅してしまう理由として考えられるもう一つの理由が、長い夏休みです。アメリカの場合夏休みが3か月程度と長く、この間家庭に任せっきりになってしまうので、折角家庭環境が厳しい子供に良質な就学前教育を施したとしても、この間にそれが台無しになってしまう可能性が非常に高いです。

さらに、非認知能力を巡って日米で重要な違いがあるように思われます。それは部活動の有無です。日本の場合、部活動などの活動で非認知スキルも養われていると考えられますが、アメリカには日本の様な部活動は存在しません。部活動に近い働きを持つ課外活動も存在しますが、基本的に有料のものが多いので貧困層はそれらにアクセスできません。

また、アメリカの高校は一時期ショッピングモール・ハイスクールと非難されたぐらい科目選択が自由で、上を目指せば高校時代から大学レベルの授業が取れたりしますが、堕ちようと思えばとことん堕ちれるシステムでもあったりします。このようなシステムの下で貧困層の子供にやり抜く力や忍耐力が養われるかと言われると、ちょっと難しい所だと思います。

教育政策・教育経済学の文脈を考える

国際比較教育学(International and Comparative Education)ではよく、文脈が大事だと言われますが、文脈を理解するのは結構複雑です。文脈の最小単位は個人である…という話から始めるとだいぶ複雑になるので、実務家として最低限考えなければなら点を挙げると、上で挙げた①社会経済的な環境の違い(i.e., ひとり親家庭の状況など)、②社会福祉システムの違い(i.e., 住宅政策など)、③教育システムの違い(分権的な制度など)、の3つが挙げられると思います。

さらに、教育経済学を使って教育政策を考える場合、問題はさらに複雑になります。なぜなら、一つの研究から明らかになるのは、決して教育のすべてではないからです。例えば、ヘックマン教授の研究では学力や非認知スキルへの影響が明らかにされましたが、教育に求められる役割はそれだけではないはずです。例えば国民統合であったり、民主主義の維持であったり、伝統の維持であったり、様々なものがあります。幼児教育ではあまり問題になりませんが、例えば、バウチャー制度や学校選択制が非難される一つの理由として、学校に集まる子供たちが単一的な背景になりがちなので、民主主義の維持に必要なスキルや知識を体験しづらくなる、というものが挙げられます。しかし、バウチャー制度を巡る研究は主に子供の学力や非認知スキルにどのような影響があったかを分析するものばかりで、この点を見落としてしまっています。

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この議論を図示すると上のような感じになります。

国の社会福祉制度は、国の社会・文化・経済的な背景を基に作り出されています。今回の例で言うと、アメリカの住宅政策は市場を重視する米国ならではだと言えるでしょうし、黒人貧困層のひとり親の状況もここに位置づけられるでしょう。さらに、教育制度は社会福祉制度の一環であることから、これと切っても切り離せません。米国の住宅制度と分権化された教育制度はこれに当たります。さらに、教育制度はその上位に当たる社会・文化・経済的な背景の影響も受けます。今回は触れませんでしたが、教員間の競争と協働のどちらを重視するかはまさにこれに当たります。そして、研究対象となる教育プログラムは、教育制度の中で生きています。今回の例で言うと、アメリカの分権化された学校が貧困層に全く効果がないと言って良い状況の中で、良質な就学前教育を行うとどうなるか?、というものです。最後に、研究が明らかにしているのは教育活動の一部に過ぎない、という点が来ます。

就学前教育を巡る文脈について上の図式で日米比較をすると、日本はアメリカほど貧困=育児の貧困の図式が強くないですし(未婚のひとり親がアメリカと比べると無視できるレベルで少ない)、人種問題の様な強烈な社会問題も存在しません。また、日本の住宅政策もアメリカほどには強烈に格差を固定するようなものではないでしょう。そして、日本の学校システムは広域教育行政制度を取っているのと、義務教育費国庫負担金制度があるので、アメリカの様に貧しい地域で全く機能しない、ということにはなっていないと思います。このような文脈の違いを考えると、ヘックマン教授の研究をそのまま日本に当てはめて幼児教育無償化を叫ぶのは言い過ぎな感じがします。彼の研究のエッセンスを取り出すならば、①育児の貧困に陥っている家庭に対し、②早期の支援を実施すれば、③たとえ学校システムが崩壊していてもその子供を救うことが出来る、でしょうから、日本に当てはめるならば、育児の貧困に陥っている家庭に早期の支援を実施する方向に向かっていくべきだと私は考えます。

今回の事例から分かるように、教育の国際比較はコンテクストの違いが大きいため、学問分野として成立し得るものなのか議論があります。実際に、数年前に、この分野の大家が国際比較よりも国内比較を活用すべきだと発言したのが大きな波紋を呼んでいます。この点については、このブログの編集長と相談の上、また日を改めて筆を執ろうかなと思います。

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