サルタックの教育ブログ

特定非営利活動法人サルタック公式ブログ。教育分野の第一線で活躍するサルタックの理事陣らが最先端の教育研究と最新の教育課題をご紹介。(現在noteへのブログ移行作業中です→https://note.mu/sarthakshiksha)

ネパールにおける幼児教育の状況―ヘックマンの議論のネパールにおける妥当性について

1. はじめに

はじめまして、サルタックネパールでインターンをしている宮本です。

サルタックが運営するサルタック・ラーニング・センターにも毎日3歳から4歳の子どもたちも多く参加していますが、今回はそんな就学前の子どもたちの話題:Early Childhood Development(ECD:幼児教育)についてとりあげます。

幼児教育の重要性に対する認識の国際的な高まりを受けて、ネパールでも幼児教育の拡充が進められています。この潮流の立役者となっているのが、ノーベル経済学賞受賞者であるジェームズ・ヘックマンらの「早期の幼児教育は投資収益率が高い」という研究結果です。貧困家庭の子どもを対象に質の高いECDプログラムを提供することで、子どもの教育年数や収入、犯罪率、健康状態などが長期的に改善されたという研究結果は、途上国における貧困層の教育の質の改善や格差といった問題に取り組むうえでも示唆に富むものです。

ただしヘックマンらの研究結果が別の国や地域にもそのまま当てはまるとは限りません。その国の幼児教育の質と子供を取り巻く環境が、ヘックマンらが分析した幼児教育プログラムの質と育児の貧困に直面していた対象者と、どの程度近いのかという「文脈」を考える必要があります。そこで今回はサルタックが活動するネパールの場合に焦点を当て、ネパールにおける子育てをめぐる家庭環境と幼児教育の質に関する現状を紹介し、ヘックマンの議論のネパールへの適応可能性について考えたいと思います。

(ヘックマンらの研究は、主にアメリカ国内で行われたいくつかの実験的なECDプログラムに基づいています。この議論の背景にあるアメリカ特有の貧困や教育制度といった文脈、そしてなぜ教育政策を考えるうえでなぜ社会的・文化的背景を意識する必要があるのかについては、こちらの記事
sarthakshiksha.hatenablog.com
で詳しく紹介されています。こちらの記事を読んでから、アメリカの文脈とネパールの文脈を比較しつつ本記事を読んでいただければより分かりやすいかと思います。)

2. ネパールにおける子育て環境

家庭の経済状況は子どもが成長する環境を左右する要因の一つですが、「育児の貧困」は経済的な貧困だけとは限りません。他にも育児の貧困に影響を及ぼす要因には以下のようなものがあります。
 ・親や家族、他の大人がどのくらい子どもと時間を過ごせるか
 ・親や家族の教育度合いや子育てに関する知識
 ・親を助けてくれる人やサービスがあるか
  親戚、近所の人、ECD施設、医療サービスなど
 ・親の教育に対する理解や関心
以下では「家庭・世帯」・「母親」の視点から、ネパールで子どもたちがどのような環境下で成長していくのか見ていきます。

ネパールの家庭と世帯

世帯の平均サイズは小さくなっている

ネパールの一世帯当たりの平均人数は2015年度で4.6人です。1990年代から現在にかけて、ネパールの典型的な世帯であった5人以上の世帯は減り、代わって核家族世帯が増加傾向にあります。このことから以前ほど子どもの世話をすることができる大人が家族の中に少なくなってきているといえるでしょう。
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ひとり親家庭の割合が増えている

世帯主の女性の割合は1995年度の13%程でしたが2010年度には26%にまで増加しています(National Living Standard Survey)。また4歳以下の子どものうち40%以上が両親のうち母親のみと一緒に暮らしています(Demographic Health Survey)。この変化の背景には海外への出稼ぎの増加があります。出稼ぎの多くは男性単身での移住なので、結果として多くの子どもが父親とは離れて暮らしています。ただし、夫が出稼ぎに行っている多くの家庭では海外から仕送り(送金)を受け取っているため、収入は両親が一緒に暮らしている家庭よりも多い場合があります。

ネパールの母親たち

上記の2つの世帯の特徴の変化から、子育てにおいてより大きな役割を果たしているのは母親だといえるでしょう。世帯調査からわかるネパールの母親・女性たちには次のような特徴があります。

教育度合いの低さ

現在ネパールの初等教育の就学率は80%を超えていますが、学校教育が整備され就学率が高まったのはつい最近のことです。そのため現在の15歳から49歳までの女性のうちおよそ三分の一は初等教育の1年目も修了していません。

女性の高い労働参加率

ネパールでは8割近くの女性が労働参加しており、うち約40%は週に40時間以上と比較的長時間働いています。多くの女性は農業に従事していますが、半数以上の女性は仕事から現金収入を得ていません。

若過ぎる母親の多さ

現在20歳から49歳の出産を経験した女性のうち、約20%の女性は18歳以下で出産を経験しています。

簡単に整理すると、現在ネパールの母親たちは若く、あまり教育を受けることができずに母親になり、仕事に忙しい傾向にあると考えられます。質の高い幼児教育の実現のためには母親たちに対するサポート、教育も不可欠といえるでしょう。一方で、アメリカの場合には子どもが施設でECDプログラムを受けている間母親が働くことができるようになり収入が増えたという効果がありましたが、ネパールの場合には同じような効果は期待できなさそうです。

3. ネパールにおける幼児教育の質

子供のケア

ネパールでは初等教育の就学率は9割を超えたものの、栄養や医療分野でのケア、サービスはまだまだ子どもたちにいきわたっているとは言えません。例えば3歳以下の子どものうちおよそ五分の一は医療サービスを全く受けておらず、必要な予防接種をすべて受けている子どもは40%以下です。特に栄養状態では都市部とそれ以外の格差が大きく、栄養不足による「深刻な発育不良」と判断された子どもの割合は都市部の8.3%に対し農村部では16.1%と倍近くになっています。

Multiple Indicators Cluster Survey (MICS)では子どものケアという観点から「家族による学習のサポート」、「教材の有無」、「不適切なケア」の3つの項目で調査が行われています。
①家族による学習のサポート
家族による学習のサポートを受けている子どもは67%で、このうち30%は母親に、10%は父親によるものです。両親以外の家族(大人)も子どもに勉強を教えているようです。
②教材の有無
3冊以上の子ども向けの本が家にある子どもは5%以下で、貧困層ではさらに低く、富裕層でもこの割合は15%以下とあまり高くありません。サルタックが実施しているような活動で、家以外の場所で本に触れる機会を増やすことが必要だといえます。
③不適切なケア
この項目では不適切なケアとは「一人もしくは10歳以下の他の子どもと一緒に大人の目から離れること」を指しますが、20%の子どもがこれに該当します。

ネパールにおける就学前教育の実施状況

低所得国に分類されるネパールですが、学校教育の拡充に合わせて、就学前教育も施設数、就学率ともに2000年代以降急激に拡大しています。2015年現在では就学前教育の就学率は82.9%で、学校に入学する生徒の半分以上は就学前教育を経て入学しています。
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学校教育は5歳から始められるので教育制度上の就学前教育の対象は4歳児ですが、都市部や私立学校を中心に3歳から4歳の2年間またはそれ以上の就学前教育を受けさせる親も増えています。施設は公立・私立の学校付属のもの、幼稚園のような就学前の子どものみを対象にする施設など様々です。

ECDインデックス

国別のECDの実施状況をはかる指標として、MICSのECD Index (ECDI)があります。ECDIはLiteracy-numeracy、Physical Development、Social-emotional Development、Learning (与えられた指示を理解し一人でこなすことができるか、という基準ではかられています)の4つの項目で構成され、何パーセントの子どもが各項目の年齢に比して適切な発達の軌道に乗っている(on-track)と判断されたかを表します。
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ネパールと他のアジアの低・中所得国のECDIを比べてみるとネパールの特徴が分かりやすくなります。ネパールはアジアの低・中所得国の中では非常に高いECD参加率を達成しています。一方で、LearningとSocio-emotionalの項目には高い参加率の効果があまりみられません。
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就学前教育の課題

National Institute for Research and Training (2016). Nepal Education Sector Analysis.では、ネパールの就学前教育実施の課題として次のような点が挙げられています。
①カリキュラムの実施
政府が制定するカリキュラムは包括的な教育をうたっているが、実際のクラスではあまり実施されていない。特に教科的な内容(識字、計算、英語など)のみに偏ってしまう、学校教育の先取りが見受けられる。
②設備
多くの施設は換気の悪さ、ほこりっぽい教室、照明やトイレ・水道設備などの設備の不足を抱えており、子どもが学ぶのに最適な環境とはいえない。
③ファシリテーターの能力
一部のファシリテーターはカリキュラムを実施するための研修を受けておらず、特に私立の学校ではファシリテーターは政府のカリキュラムに即した研修を受けていない。
賃金や社会的認知の低さからファシリテーターの仕事へのモチベーションが低いことも課題(ECDファシリテーターになるための条件は8年生までの教育を修了していることと、ECDに関する研修を受けていることです)。
④施設経営
コミュニティ型の施設は住民の代表者からなる委員会によって運営されているが、学校に付属した施設の場合は独自の運営組織がなく、管理が行き届かない場合がある。
 
これらの課題に加えて、本来ECDは幼児の全ての側面を含めた発達を指しますが、多くのECD施設では教育分野以外の子どもの発達(栄養面、医療面)に関してサービスが提供されていないという問題があります。政府もECDを推進していますが教育分野以外の具体的なプログラムはこの中に含まれていません。結果として、多くの子どもが学校付属の施設で就学前教育を受け、ECDが単なる学校教育の前倒しのような位置づけになっています。

4. まとめ

以上ネパールにおける幼児教育の質と子供を取り巻く環境について概観しましたが、ヘックマンらの主張するような早期の幼児教育はネパールの場合にも有効といえるでしょうか?

世帯規模の縮小やシングルマザー家庭の増加、労働参加する女性が多いことから、家族の中で大人が子どもの世話にかけられる時間は減ってきていると考えられます。このため、母親が働いている間に子どもに施設で集中的なECD教育を提供することには、子どもの不適切なケアを減らし、家族が子どもに行う教育を補う効果が見込まれます。これらの点から、ネパールにおける幼児教育の拡充は大きな効果を持つポテンシャルを秘めていると言えるでしょう。
しかし、幼児教育の質はというと、栄養面や予防接種などの医療面がまだ不十分なのが現状です。さらにECD幼児教育の「質」を高めるためにはファシリテーターの訓練と、特に私立・公立の学校付属の施設でカリキュラムの実施を徹底する必要があります。このように、幼児教育の拡充が持つ大きなポテンシャルを活かせるだけの幼児教育の質が実現できていないという課題があります。

最後に少しだけ幼児教育の格差の問題についても言及したいと思います。ヘックマンらは貧困層に重点を置くべきと主張していましたが、現在ネパールでは国レベルで教育に関して特に貧困層を対象にした政府による金銭的支援や優遇措置が取られていません。政府が貧困層に焦点を絞るためには、私立に比べて貧困層が集中し教育の質も低い公立学校(コミュニティスクール)内のECDプログラムにより多くの資金を充てるといったターゲティングが効果的なのかもしれません。
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