サルタックの教育ブログ

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子どもたちの平等か、個人の自由か ~先生へのプレゼントを通して考える

こんにちは!イギリスでもクリスマス休暇が終わり、すっかり新学期が始まっています。年末年始は日本のようなせわしない感じや盛り上がりはないのですが、クリスマス前には町もクリスマス一色になり、学校でも子どもたちはクリスマスカードをやり取りしていました。中には、カードに留まらず、プレゼントを持ってきている子どももいました。
そこで今回は、学校でのプレゼントの取り扱われ方に端を発して、「平等」に対する考え方の違いについて注目したいと思います。

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クリスマスや誕生日に学校に持っていくものは?~プレゼントをめぐるエピソード

クリスマス休暇が近づいたある日の朝、子どもたちを学校に送っていくと、紙袋を持った親を何人も見かけました。教室に行くと、子どもたちがそれぞれ嬉しそうに先生に渡していました。不思議に思ってママ友に聞いてみると、それは「学期末の(End-of-the-term)プレゼント」とのこと。しまった、そんなものがあったとは、準備してなかった、、と焦っていたら、「お礼の気持ちからあげたい人だけがあげるもので、あげない人もいるし、気にしないでいいよ」とのアドバイスを受け一安心。子どもたちの希望により、子どもたちが作った折り鶴とメッセージを準備し、何とか休暇前最終日の朝に先生に渡すことができ、子どもたちは満足気でした。一方、先生はと見ると、カードやお菓子、鉢植えやワインなど、大きさも種類も様々なものを受け取っていました。
この現象は、7月の学年末にも起きます。「学年末の(End-of-the-year)プレゼント」として、(あげたい人は)思いおもいのプレゼントを持って登校し、お世話になった先生や事務スタッフ等、あげたい先生/スタッフにプレゼントを渡すのです。担任の先生やティーチングアシスタントがクラスの子どもからプレゼントをもらうのは想像に難くありませんが、事務スタッフは全校児童の出席管理や集金、イベント運営等々を担当しているため(事務スタッフの役割分担については以前の記事をご参照ください。)、事務所にはプレゼントが山積みになったそうです。
また新学期が始まると、何人かの子どもがクリスマス休暇中に誕生日を迎えたのだと、お誕生日お祝いのケーキを持ってきていました。このように、お誕生日にはお祝いのためにケーキやお菓子を自ら学校に持って行って、クラスのみんなに配っているケースをよく見かけます。それにもいろんなパターンがあり、既成のケーキを朝先生に渡し適当なタイミングで切り分けてもらう場合、手作りケーキを放課直前に親が持参し教室で皆に切り分けて配る場合、小分けのお菓子を本人がクラスメイトに限らず配って歩く場合、クラスの中でお誕生日が重なり授業時間内にパーティーをする場合、その日は時間がうまく取れずに次の日になる場合、或いは先生がお菓子を配るのを忘れて次の日になる場合(我が家の娘は初めての誕生日がこのパターンでややショックを受けていました)。。。

このような状況は、日本の学校文化に慣れ親しんだ筆者としては驚きでした。特に、子どもが小規模な保育園に通っていたころ、保護者からの贈り物は受け取れないと言われたことを思い出しました。たまたま悪天候でお迎えが遅れ深夜まで預かってもらったため、後日お礼にと思ってお菓子を持って行ったのですが、別室に呼び出され保育園の責任者にこういうことはしないようにと説かれる結果となったのです。
どうして、このような違いが出ているのでしょうか?どうしてイギリスの学校では、個人個人で先生に贈り物をしても問題にならず、先生が子ども毎に異なる対応をしても特別扱いだと糾弾されないのでしょうか?

学校での違いを認める文化

そこで、この状況がどのようにイギリス社会に受け入れられているのか、少し考えてみたいと思ます。
学期末/学年末プレゼントも、誕生日お祝いも、共通しているのは、“やりたい人は、やりたい方法でやる”ということです。
誕生日のお祝いのお菓子を学校に持ってくるとなると、一部の子どもだけ学校でお祝いして不平等なのではないか、できない家庭環境の子どもにとって不公平なのではないか、という声が上がりそうだと思うものの、(少なくとも我が家の子どもたちが通う小学校では)それを過敏に気にする様子はなく、先生も喜んで受け取ってくれ、子どもたちに至っては、今日はお菓子が食べられてラッキーといった様子で、あっさりしています。
この背景には、①寄付の文化、②選択の文化があるのではないかと感じます。

① 寄付の文化

イギリスで生活していると、寄付したい人/寄付できる人が寄付する、与えられる人/与えたい人が与える、という文化が広く根付いているということを良く感じますが、学校も例外ではありません。特に誕生日ではなくても「差し入れ」のような形で時折お菓子を持ってくる保護者がいましたが、感謝されこそすれ、「他の子はしていないのに不平等だ」「特別扱いしてもらうための賄賂?」などといった声は全くありませんでした。学校からも、サマーフェアや収穫祭などのイベント時には、料理やお菓子、おもちゃ等の寄付を呼び掛けられることがしばしばあります。このように、できる人/したい人がするという考え方に慣れているのです。
さらには、校外学習や遠足時にイベント費用の徴収がなされる際には、子どもが参加することを許可するか否か、という質問に加えて、参加する場合は、必要な一人当たりの費用は○○ポンドであるが幾らを支払うか、ということが聞かれることがあります。これも、支払金額まで選べることに初めは驚きましたが、負担できる人が負担する、という考え方が浸透しているためと考えられます。

② 選択の文化

前回の記事でも給食は選択制ということを紹介しましたが、学校の中でも子どもには選ぶ権利があり、その結果、子どもたちの間で状況が異なることがあっても当然、むしろ異なることが当然と、違いを受け入れやすい環境にあります。これを現しているのが、小学校で教えることとなっている「イギリスの基本的価値観(Fundamental British Values)」です。「イギリスの基本的価値観」は下記の4点からなり、道徳教育(のようなもの。生徒の精神的・道徳的・社会的・文化的発育促進)の一環として、教育内容に組み込まれることが推奨されています。
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 出所:教育省「Promoting fundamental British values as part of SMSC in schools
    から抜粋・作成

このように、「個人の自由(individual liberty)」という考えが一つの柱になっていて、個々人の選択の自由が尊重されています。
この結果、同じ学年・クラスであっても、子どもの学校での過ごし方が必ずしも同じであることが重要視されていないようです。例えば、出席率の高いクラスにはご褒美として追加で休み時間が与えられたり(以前の記事にも書いた通り、学校を欠席しないことが奨励されているため)、全校縦割りグループのうち勝ったグループだけが遠足に行けたり、特定クラブの児童だけが試合/発表会前には招集され授業時間中に練習をしたり。子ども毎に授業時間に差が出てしまうことが気になりますが、特に算数や英語などでは、子どもの習熟度によって個々に合ったレベルの内容で進めているためか、あまり問題にならないようです。

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そもそも、小学校入学の段階から選択制です。イギリスでは、公立であっても入学する小学校は自動で割り振られるわけではありません(イングランドの学校の種類については以前の記事を参照ください)。市役所等に対して入学希望の学校を申し込む責任は、就学年齢児の保護者にあります。なお、親にはHome Schooling(ホームスクーリング)を選択する権利や、子どもが遅生まれ(4月~8月生まれ)や必要と判断した場合には就学を一年遅らせることを選択する権利もあります。
入学希望を受けて、個々の希望と学校のキャパシティの調整により学校が決まるわけですが、その際決め手となる児童の選択基準は、各市役所等や各学校において定められていて、居住地や特別支援の必要性、兄弟の有無等が主なものです。その学校の対象地域/学区(catchment area)に住んでいる場合であっても希望が通るとは限らず、需要と供給の関係で決まります。もっとも、学校までの距離が基準に入っていることが多く、人気の学校に通える確率を上げるため、その学校の近くに引っ越してくるという話をしばしば耳にします。以前、畠山の記事で紹介されていたようなアメリカの現象ほどではありませんが、地価等とも関係するため、経済格差が現れることになります。
学校選択制については、また別のテーマとして話が広がってしまうので、今回は一旦ここで止めておきたいと思います。

日本の学校制度を振り返ると

このように、イギリスの小学校においては、社会の根底にある寄付の文化と選択の自由が浸透し、個人の寄付への態度や個人の選択の結果、子どもたちの状況に差が生じていても当然と受け入れられる側面がありそうです。

この状況を踏まえて、日本の小学校を振り返ってみると、まさに憲法で謳われている(「能力に応じた」かどうかはともかく)「教育の機会均等」を実現すべく、学校制度としていろいろと工夫されているのが分かります。
小学校入学にあたっても、日本では、市役所等から学区に応じて入学する小学校の通知が送られてくるのが一般的なプロセスで、学校選択制を導入している場合でも、まず市役所等からの希望調査票等の通知が送られてくるところから手続きが始まります。教育基本法に定められた通り、国及び地方公共団体に「義務教育の機会を保障」する責任があるのです。つまり、子どもの家庭環境や経済状況に関わらず“平等に就学機会が与えられる”ことに重きを置いた仕組みになっています。
学校内でも先生には子どもたちを平等に扱うことが求められ、特に一部の子どもたちからプレゼントをもらうことは、公務員の公平性・中立性に関する規定にも抵触する可能性があります。これをはじめとして、子どもたちの選択の自由よりも、平等な状況で過ごすこと、同じ環境で学ぶことが重視されている傾向があり、子どもたちが経済的・社会的な格差を感じずに過ごせる場が守られているともいえます。
この仕組みは特に、子どもたちに平等に学習の機会を与えること・同じ学習内容を与えることで、不利な状況にある子どもたちを引き上げる点で効果的といわれています。(例えば、詳しく解説した書籍として、苅谷氏の『教育と平等』をご参照ください!)この点は、我が家の子どもたちが通う公立小学校では、たまに出る宿題も「やりたい人はやってきても良いよ」と選択制の場合があり、教育熱心な家庭とそうでない家庭の差が広がってしまうのではと気になるため、よく感じるところです。

その一方で、個々の子どもの状況は(学校内でも)異なることは自然なことで、それを互いに認める、ということも子どもの学びにおいて重要なのではないかと思います。「平等に扱わないといけない」「みんなと同じにしないといけない」というプレッシャーを、先生も子ども/親も感じすぎると苦しくなってしまいます。日本の教育の良さとして世界的にも認められている「平等」の一側面を保ちつつ、イギリスの教育で体現されている「個人の尊重」の一要素をうまく取り入れることができれば、先生も子ども/親も、もう少しリラックスして学校生活を楽しむことができるのではないかと思います。


(荒木真衣)

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