サルタックの教育ブログ

特定非営利活動法人サルタック公式ブログ。教育分野の第一線で活躍するサルタックの理事陣らが最先端の教育研究と最新の教育課題をご紹介。(noteへブログを移行しました。新しい記事はnoteにアップされます→https://note.mu/sarthakshiksha)

続・なぜ大阪は学力テストの結果を教員給与へ反映させるのを止めるべきか

畠山です、今年もネパールの厳しい環境にある子供達に手を差し伸べるために頑張りますので、今年もどうぞご支援をよろしくお願いします。

以前、現代ビジネスで「大阪市が目指す教育改革は「最先端から2周遅れ」の間違った改革だ」という記事を執筆しました。記事中では主に、大阪が導入しようとしているメリットペイと、現在教育政策や教育経済学の最先端で議論されているValue-Added Model・授業評価・ポートフォーリオ評価の組み合わせを対比させて、学力テストの結果を単純な方法で教員給与へ反映させるのは止めるべきだと論じました。

大阪が導入しようとしている、学力テストの結果を用いて教育関係者に説明責任を果たさせる類の教育政策は、米国ではブッシュ政権とオバマ政権の2政権に渡って15年間実施されてきました。そして、オバマ政権はその末期に、民主党・共和党の双方から攻撃を受けて、このような政策から方向転換しますと反省文(Every Student Succeeds Act)を書かされて、それがトランプ政権へと引き継がれていきました。

今回は前述の記事のような教員評価の技術的な話から一歩引いてもう少し広い視座から、なぜ学力テストを使って説明責任を求めるような教育政策は失敗すると言えるのか、アメリカの失敗談をお話しようと思います。

1. 米国の学力テストを用いて説明責任を果たさせる教育政策について

米国では、教育は民主主義を実現する手段だと長らく考えられていましたが、1983年に出版されたA Nation at Riskという報告書がこの潮流を一変させました。この頃の米国は日本との貿易戦争の真っただ中で、私のいるミシガン州のビッグスリーと呼ばれる自動車会社の衰退に象徴されるように、劣勢に立たされていました。この報告書は、教育システムが生み出す低学力な大人達こそがこの経済的劣勢の原因であると糾弾し、教育は民主主義を実現する手段から経済成長を達成するための手段へと変容していきました。お陰で私のいる教育経済学という分野が勃興したわけですが。

父ブッシュ・クリントン政権を通じて、教育システムに子供の学力を向上させるという説明責任を果たさせる下地が形成されていき、子ブッシュ政権の時代にこれが実現します、それがNo Child Left Behind (NCLB)法です。NCLB法は、各州政府が連邦政府から教育のための資金を受け取る代償として、州政府に教育の標準的な基準と、子供達がその基準に到達しているかをチェックするための学力調査、の2点を作成させて、その資金を受け取る全ての州内の学校(つまり、大半の私立学校は対象から外れます)の全ての子供達が2014年までにその基準に到達するよう、毎年適切な進捗が見られるように徹底させました。この適切な進捗を見せられない学校には罰則が科され、連続して達成できなかった年数が積み上がると、より罰則が厳しくなるというものでした。

これはオバマ政権にも引き継がれ、Race to the Top(RttT)法が制定され、さらにこれがNCLB Waiverによって加速するのですが、今回はこの辺りの話をするのがメインではないので詳細は割愛します。その代わりに、このNCLBとRttTから得られたエビデンスに裏打ちされた教訓をご紹介したいと思います。

2. 学力テストを用いて説明責任を求める教育政策は失敗した…のか?

実は、一見するとこの学力テストを用いて教育関係者に説明責任を求める教育政策は成功したように見えます。なぜかというと、この政策は確かに学力テストの点数「は」向上させる働きを持ったからです。NCLB法のインパクトを計測した最も有名な論文は、州によってNCLB的な政策を導入したタイミングが違うという点を使って、Difference-in-Differenceという手法のより強化版であるComparative Interuppted Time Series (CITS)と呼ばれる手法を用いて(気が向いた時に、この辺の手法の説明記事も書こうと思います)、NCLBが数学の点数「は」向上させたことを明らかにしました。が、英語の点数へのインパクトはよく分からないという良くないオマケもついていますが…。

前述の論文はスタンフォード大学の教育経済学分野では誰もが知っている著名な先生が執筆したものですが、スタンフォード大学は教育政策・教育経済学分野の世界最高峰であるため、他の著名な先生方もこれに近い分析をして、このような教育政策が学力テストの点数「は」上昇させるという結果を導いています(論文①論文②

このような全国レベルのデータではなく、州内や市内のデータを使って同様に、学力テストを用いた説明責任を求める教育政策によって学力テストの点数「は」上昇したという結果が、テキサスシカゴで出ています。

3. 学力テストを用いて説明責任を求める教育政策は失敗した

先ほどの章で、「は」という表現を多用したことをうっとうしく思われた読者もいると思います。なぜこのような表現を用いたのかというと、学力テストを用いて教育関係者に説明責任を求める教育政策は、確かに学力テストの「点数」は上昇させたのですが、子供の「学力」を上昇させたのかというと、そうではないという結果が出ているからです。

アメリカの子供達は、思った以上に様々な機会に学力テストを受けています。学校や教師に説明責任を果たさせるために州政府が実施する学力テストもあれば、説明責任とは無関係なPISAやTIMSSのような国際学力テストや連邦政府が実施する隔年の学力テスト(NAEP)も存在しています。学力テストを用いて教育関係者に説明責任を果たさせる教育政策が、子供の学力をきっちりと上げているのであれば、各種の学力テストで点数の上昇が確認できるはずです。

しかし、実際の所、点数の上昇が見られたのは、説明責任を果たさせるために実施した学力テストだけで、説明責任と結びついていない学力テストでは点数の上昇が見られない、という現象が複数の研究者によって明らかにされています(論文③論文④)。他にも、前述の論文②は、学力テストの点数は上昇したものの、それが高校の卒業率や退学率の改善には結びついていないという奇妙な現象も明らかにしています。

これらのエビデンスが示唆するのは、学力テストを用いて説明責任を果たすように求められた学校や教員達は、「その」学力テストで生徒達の点数が良くなるように準備をするものの、それはあくまでもそのテスト対策であって、学力向上に結び付くような対策が取られたわけではない、ということです。学力向上を目指して学力テストを実施するのに、学力は向上せずテスト対策だけが上手くなされるというのは、本末転倒ではあるものの、いかにも人間らしい教育関係者の反応だなという感じがします。

4. 学力テストを用いて説明責任を求める教育政策はどのような失敗を犯したのか?

では、どのようにしてこの教育政策は失敗したのでしょうか?教員がテスト対策ばかりで、ちゃんと教えるということをしなかったというのも勿論あるでしょうし、不正が横行した、という点も見逃せません。どの様な不正が横行したのかは、米国の新聞記事などをググると全米各地であれやこれやと行われたことが分かりますが、点数の低い生徒を学力テスト当日に休ませるだとか、学力向上が見込みづらい子供達を特殊学級へ送るだとか、カンニングだとかが発生しました。

興味深いのは、これらのような素人目にもバカだなと思う不正だけでなく、かなり巧妙な失敗が存在している点です。NCLBやRttTの下で行われた学力テストでは、単純に点数が上がったか下がったかだけでなく、十分な学力があると認められるラインを超えた子供の割合も重要なポイントになってきます。ここで勘の良い人ならお気づきになると思いますが、この合格ラインに近い子供達が合格ラインを割り込まない・超えられるように、これ等の子供達に焦点を集中させて、高学力や低学力の子供達は放置される、という現象が起こったことを複数の論文が明らかにしています(論文⑤論文⑥)。こんな高度な失敗ができるのであれば、最初から子供の学力を向上させるように頑張っておけよという感じもしますが。

この事例ほどには高度でないものとして、学力テストの対象とならない科目が削られて、学力テストの対象となる科目に集中させるという失敗も起こりました(論文⑦論文⑧)。以前、「高学力だけでは不十分な時代に求められる「教育とスキル」は何か」という記事の中で、機械化が進む現代においてソーシャルスキルが無くて勉強だけができるタイプは苦戦を強いられると指摘しましたが、学力テストの対象となる科目に特化するというのは今日の世界においては褒められたものではありません。そもそも、期待賃金が高いと考えられていたSTEM教育ですら、長期で見るとこれらに特化するのは得策ではないという研究が数か月前に発表されたように、ある特定の科目に特化した教育に高い効果や長期的な効果を求めることは難しくなってきています。

5. そもそも学力テストの結果だけでは真の教員の能力が測れない

確かに、学力向上→貧困削減・賃金上昇→より豊かな社会へ、というのは教育に求められる重要な役割の一つです。しかし、教員は子供の学力だけを伸ばせばよいのでしょうか?勿論そうではないでしょう。インターンの吉川が「教育は民主主義をより良いものにできるのか?-教育を機能させるために必要な条件」という記事を執筆しましたが、教育は民主主義を実現するための手段であるというのを筆頭に、教育が果たすべき役割は枚挙に暇がありません。

しかし、教育→貧困削減・賃金上昇→より豊かな社会へ、という経路だけを取り出しても、学力だけに注目するのは誤りであることが分かってきています(論文⑨)。この論文によると、子供の能力を学力テストで測れる能力(認知能力)と学力テストでは計れない能力(非認知能力)に単純に二分割してみると、数学の教員では認知能力と中長期的な教育成果の間の関係が強いのですが、英語の教員だとむしろ非認知能力の方が中長期的な教育成果と関係が強いことが分かりました。そして手強いことに、この教員の学力テストの点数を伸ばす力と非認知能力を伸ばす力の間の相関関係はそれほど強くありません。つまり、子供の学力を伸ばすことが上手い教員は非認知能力を伸ばすことも上手いわけではないですし、同様に子供の学力を伸ばせない教員が非認知能力を伸ばすことも出来ていないわけではないということです。

この結果を解釈すると、子供の学力をどれだけ伸ばせたかだけに着目して教員を処遇すると、子供の非認知能力を伸ばして中長期的により良い教育成果をもたらすタイプの少なくない教員を取りこぼしてしまうことになります。

自分の体験に基づいてこの論文の結果を飛躍した解釈をしてみると、地域の社会経済状況がよく安定した学校で子供の学力を伸ばしより良い教育成果をもたらすタイプの教員と、地域の社会経済状況が悪く荒れまくっている学校で、そのままなら高校すら中退するような子供達に規律や規範(非認知能力)をもたらして、何とか高校を卒業させてより良い教育成果をもたらすタイプの教員がいて、学力テストだけで教員を処遇すると後者のタイプの教員を取り逃してしまう一方で、前者のタイプの教員を後者のような学校に送り込んでも子供達が高校を卒業できるようにならない、ということなのかなと思いました。

いずれにせよ、学力テストの結果だけでは中長期的により良い教育成果をもたらせる優秀な教員を炙り出しきることができないという事実は、学力テストを用いて教育関係者に説明責任を果たすように求めるタイプの教育政策が持つ、優秀な教員は学力テストの結果だけで判別することができるという暗黙の仮定に大きな瑕疵があるということを示唆しています。

6. まとめ

今回は、米国がブッシュJr.政権・オバマ政権に渡って実施してきた学力テストに基づいて教育関係者に説明責任を求める教育政策はどのような結果を生み出してきたのかを紹介しました。まとめると、このような教育政策は、科目によって効き目が異なるものの、概して罰則や褒賞が結びつけられた学力テストでは点数を上昇させる効果を持ちます。しかし、これはあくまでもテスト対策に特化したことによるもので、子供の学力自体を向上させる効果はあまり見込めず、人的資本の向上による貧困削減や格差の縮小といった、教育に期待される役割を果たすわけではありません。さらに、真の学力向上に効果が薄いだけでなく、本当に支援が必要な子供達が置いてきぼりにされたり、学力テストの対象外の科目がおざなりにされるという負の副作用を持ちます。この辺りを規制で回避できたとしても、学力試験の対象外の教員をどう評価するか?という問題は回避できません。そして、そもそも教員が子供に与える影響は学力テストだけで計測できるものではないにもかかわらず、このような教育政策は学力テストでは計測できない重要な教育的要素をおざなりにさせてしまう副作用を持つことまで考えられます。

このような米国の経験を考慮すれば、大阪で行われようとしている、学力テストの結果を教員給与へ反映させるような政策は絶対にやめるべきだと判断します。私からは、①学力テストを用いて教育関係者に説明責任を求めつつも、教育関係者が過度なテスト対策に走らないように、あくまでも学力テストによる評価は広範囲に行う教員評価の一部分に留める(ポートフォリオ評価)、②教員の真の学力向上への貢献を測定するためにValue-Added Modelを使う、③とは言え、VAMによるとあなたはダメだと言われても教員にとってはどこをどう改善すれば良いのか理解できるわけもないので、VAMで3年連続低評価の教員には授業観察に基づくフィードバックを与える、④それでもダメであれば退職や配置換えなどで教職からの撤退を求める、という4点を提案したいと思います。

もちろん、大阪の政策関係者が厳しい環境にある子供達のために様々な施策を打ち、何とかしようとしているその姿勢は評価されてしかるべきだと思います。しかし、昔書いた「緊急支援をするときに寄付先を選ぶ基準」という記事中でも軽く説明しましたが、善意とお金や労働の組み合わせが必ずしも良い結果を生むわけではないことは留意する必要があります。例えば、途上国で大災害が発生した時に、先進国から善意の大量の衣類が送られ、これが現地の繊維産業を崩壊させ、その地域が復興できなくなったという逸話があります。これは、できるだけ現金で現地調達するという基本中の基本の知識が欠如していたために起こった悲劇です。これと全く同じで、厳しい環境にある子供達に手を差し伸べるためには、善意とお金だけでは不十分で、それらに正しくレバレッジを利かせられる「知識」が必要です。国籍や人種に関係なく、一人でも多くの厳しい環境にある子供達に手が差し伸べられるよう、大阪の皆さんの善意とリソースに、教育政策分野の知識・専門性によって正しくレバレッジが効き、一人でも多くの子供が救われることを願っています。

追伸
文中でも触れましたが、教育政策・教育経済学分野で世界最高の知識を有するのはスタンフォード大学で、国際教育協力の文脈ですら最も素晴らしい大学の一つです(私の指導教官もスタンフォード大卒ですし、ミシガン州立大学の教育経済学の先生の半数近くはスタンフォード大卒です)。確か大阪はサンフランシスコと姉妹都市なので、それを活かしてスタンフォード大学に協力を仰ぎに行くのが、一番良い解決策だと思います。

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