以前の2つのブログでは、NGO=市民社会を政府や企業とは異なる「自由・平等・博愛・正義」のような規範的理念を持っている市民団体と位置付けました。
近年、日本でもそうかもしれませんが、国際協力分野でもNGOの活動の締め付けは徐々に厳しくなってきていると言われています。
そのような厳しい状況の中で今後NGOはどこに向かっていくべきなのかを考えていきたいと思います。
sarthakshiksha.hatenablog.com
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・NGOの役割
そもそも国際協力NGOの役割は何なのでしょうか。
デービッドコーテンのNGO世代論の4つの分け方が有名ですが、私はコーテンの考えを汲みつつも大きくあると2つあると思っています。
NGOとボランティアの21世紀 - 株式会社 学陽書房
1つはプロジェクトの実施。
教育であれば、学校建設、奨学金給付などのサービスの提供に加えて、女児の教育エンパワーメント、校長や地方教育行政官の能力強化などです。
国際協力のNGOというと途上国の田舎で、直接事業を実施しているというイメージが強いのではないでしょうか。
もう一つはアドボカシー(政策提言)です。
プロジェクトを実施していると目の前にいる人たちの短期的なニーズを満たすことはできるかもしれません。
しかしその表面化した課題の奥底にある根本的な制度的な欠陥を直すことはできません。
例えば、ケニアの公立小学校の現場では1学年に100人の子どもがいることも少なくなく、教育の質が低いと言われています。授業時間では学習時間が十分ではないので、自習用の補習教材を配布し、子どもたちが授業にキャッチアップできるような支援をするとします。しかし、根本的に政府が小学校の教員を増員しないと教育の質は改善しません。さらに言えば、汚職により教育予算が現場まで降りてこない、降りてきても現場で誰かのポッケにお金が入っていて、子どもたちの教育の質の改善に繋がっていないこともあります。そういった場合には、より根本的な制度改革のために、NGOが政府に対して変革のための声を挙げていく必要があります。
・NGOの活動領域が狭まっている
近年は国際協力NGOの活動領域が狭まってきていると言われています。NGOの資金源はドナーである政府や財団の外部資金に頼ることが多いですが、近年ドナーは数値化できる結果を重視し、結果にコミットしないといけないため(あれどこかで聞いたことがある笑)、不平等や貧困が起こるプロセスや制度の改善に時間を割くことが難しくなっています(Banks, Hulme and Edwards 2014)。またドナーのプライオリティに応じた活動の要請が強くなっているため、本当に重要な課題の解決のための活動がしづらくなっています。
もう一つは国家によるNGOの活動の規制強化です。
特に東アフリカではその動きが顕著です。エチオピアでは外国のNGOが人権、民主的権利、子ども、啓発に関わる活動に関わることができなくなり、パートナシップを結ぶローカルNGOも外国からの資金が全収入の10%未満でないとそれらの活動に関われなくなりました(利根川 2017)。ウガンダでも政府に登録されていない市民活動が違法とされる(ICNL 2011)など、エチオピアで2009年にできたCSO法がケニアやウガンダなどの周辺国に飛び火していると言われています。
政府に変革を物申すアドボカシ―はもっての外、従来国際協力NGOが担ってきたプロジェクトの実施においても活動領域が狭まってきています。
・今後のNGOの活動領域の可能性ーパートナシップ・つなぎ役
英国のアカデミアやOxfamのブログの中で、議論されているNGOの今後の役割は様々なアクターとパートナシップを結び社会変革のつなぎ役になることです。政府や企業とパートナシップを結び、共に社会課題の解決を目指します。それぞれのアクターにはそれぞれの目的があり、協同することで非営利・非政府であるというNGOらしさを我慢しないといけないかもしれません、一方でNGOは草の根での情報、ローカルな市民団体とのネットワーク、持ち前の機動力を生かし、様々なアクターと上手く調整することで草の根レベルで大きなインパクトを残すことができるかもしれません。
例えば、あるIT企業が自製品のプロモーションのためにBOP層へタブレットを配布したいとします、そのタブレットを学校に配布する役割をNGOが担い、適切に使用されることをモニタリングすることで、子どもたちのITリタラシーの向上に繋がるかもしれません。同時に政府は基地局を増やしネットワークのカバレッジを増やしITインフラを整えてくれれば、地域住民のインターネットへのアクセスといった相乗効果も望めます。
さらに政府や企業と対立するNGOではなく、パートナーとしてそれらの主体の中に入り込むことで、”中からのアドボカシ―”の可能性があるとも言われています。
以前のブログでは国際協力NGOの定義を考えたときに、政府、企業、市民社会(NGO)という3つのアクターを分けて考えましたが、「境界」を作ることによってNGOは非政府、非営利というアイデンティティを意識し、対立的になってしまいがちです。NGOは社会を良くするために必要な団体ですが、NGOだけで社会を良くすることはできません。NGOが掲げる理念は美化されがちですが、カネ・キャパが十分ではなく、NGOをめぐる法規制も厳しくなってきているという現実があります。社会課題の解決ということを第一義に掲げるのであれば、NGOとは何かということを強く意識するのではなく、積極的に他アクターと協同していく必要があるということが現実的な選択肢のようです。
・議論
英国の識者が言うNGOのつなぎ役という役割は現実的な道筋なのかもしれませんし、そもそもNGOだけで社会課題を解決することはできないから他セクターと協同していくのは必要だと思います。
一方でその役割だけに終始することは
"Are NGOs colonized by government and market?"
なのでしょうか。
国家が社会の基本的な枠組みを形成している現代社会では、NGOは程度はあれどその枠組みの中で活動していかなくてはいけません。
しかし立場的に弱いNGOはパートナーシップと言いながら、政府や企業の下請けのような役割を担い続けるはめになってしまうのでしょうか。
元々の関心である、貧困や不平等といった課題を解決することはできるのでしょうか。
必要なときはパートナシップを結び協働する、一方で、Noと言わないといけないときはNoと言う。それが理想ですが、それが言いづらい社会になってきています。
今後のNGOの活動領域は何か。
そう簡単に答えは出ないと思いますが、NGOが自らの役割・活動領域を考え直すことが必要です。
国際協力NGOの現実は厳しいものがあります。多くの国際協力NGOは十分な自己資金を確保するのが難しく、人も時間もお金も足りない、キャパ不足のNGOが多いのではないでしょうか。
組織のキャパを徐々に大きくして、根本的な社会課題を解決するには何をすべきか考えていくこと、NGO同士のネットワークを広げNGO業界全体でも議論を進めることが、今後のNGOの活動領域を考える一歩であると考えます。
山田
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